アキタの雑記

博士後期課程の雑記ブログ。 読んだ本、コンピューター系のメモ、愛猫の写真、勉強のこととか。

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2018年の振り返り

2018年は色々とチャレンジな年だったのかなと今振り返れば思います。気が付けば大学三年生になり、部活では主体となる学年になり、研究室の仮配属も始まり、卒業後の進路についても考えなければならないが学年です。学部2年の秋くらいに留学に申し込んだので、それが通るのか、通ったらその準備もしなきゃいけないという色々と忙しい一年間だった気がします。もう2019年なんですけど、過ぎた時を思い出し振り返ってみようかと思います。完全な自己満ですが。
サッカー部での活動、留学、進路、に絞ろうかと思います。

サッカー部の振り返り

所感と感謝

2018年の冬から夏にかけてはほとんどサッカー部をしていたように思います。自分の学年が主体になる年でした。チームとしてはすごくいい雰囲気だったと思ってます。天皇杯も出場出来たし、チーム主体で国体にも出れました。リーグ戦も昇格は逃したものの決して悪い結果ではなかったです。2018年は後輩がたくさん入ってきてくれたので日々の練習もわいわいしていて楽しかったです。先輩もたくさん残ってくれて非常にチームとしては助かった感じだったと思います。うちのチームは上下関係がいい感じの雰囲気を醸し出していると思っていて個人的には居心地のいいところでした。チームとしてはすごく良かったのです。 今年は後輩も出場機会が多かったように感じています。そのことは大いに満足していますし、チームを育てる上では必要不可欠だと思います。実際、私は秋には留学に行くことを決めていました。ある意味自分勝手にチームを離れて責任を放棄するような感じですよね。そのことに対するうしろめたさ的な気持ちがないわけではなかったのですが、先輩もタメも後輩もいるのでまあ私一人抜けたところで問題はないなというのが印象でした。 チームメイトみんなに感謝です。最後までチームを引っ張っていた先輩、主体となった幹部、一緒に練習した後輩たち、お金の管理、リーグの運営など様々なことに気を配ってくれたマネージャーみんなですね。

天皇杯出たかったなという話

個人としては欲を言えば天皇杯には出たかったです。自分の目標となる大会だったし、一番のモチベーションでした。メンバーを決めるのは同じ仲間の幹部で、その幹部は私自身も納得してお願いしていたので人選に関して文句を言っているわけでは全くありません。ただ、個人として使ってもらえるような実力をその時にないと判断された自分が不甲斐ないというだけです。天皇杯の本戦に出場するという経験はめちゃくちゃ貴重です。プロチームと試合ができる可能性がある大会はここだけです。実際、うちのチームより強いチームでも他の県では競争が激しく出場が難しいのです。またチームは東北の2部に属していて普段相手にするチームで格上のチームはあまりないです。強いチームと試合ができる機会としてもとても貴重です。まあ、天皇杯出れなくて残念でした。という話でした。

国体出場

夏には国体に選ばれて試合をしました。相手は格上だったのでめちゃくちゃ楽しかったです。相手の中に元チームメイトがいて久しぶりに試合が出来てとても楽しかったです。負けましたけど。こうやってサッカーしている限りどこかしらで繋がりができるのはやっていて楽しいなあと思うところの一つですね。国体はうちのチームのメンバーの中から選出されました。県内に他にもっと上手い選手はいるだろう。と思いますし、自分が国体のメンバーとしては実力不足だとも思っていました。が、そうなったものは仕方がないです。結果としては楽しい試合が出来て幸せでした。最初は楽しい夏休み期間が潰れるくそ。とか思ってましたけどね。

画竜点睛を欠く

国体が終わって、リーグ戦もしばらく休みの期間がありました。相変わらずくそ暑い中サッカーボールを蹴る日々を送っていました。いよいよ留学前最後の練習を終えて、明日の試合頑張ろうなと話していたその日の午後に発熱。最後のリーグ戦欠場という悲劇でした。食中毒でした。同じチームメイトも食中毒で欠場し、下痢のメンバーが複数でました。2日前くらい前にチームメイトと食べた某飯が原因のようでした。というわけで、最悪の体調のままマレーシアへ。という感じでした。マレーシアへ、地獄のフライト編に続く。

留学

留学の準備

今まで書いた通り、基本的にサッカーボールを蹴る毎日を送っていました。勢いで留学を申し込んだので当然英語のレベルもカスです。勉強をしなければなりませんでした。しかし、十分に勉強していたとは言えませんでした。というのが実際でした。今は来ているからわかるので書きますけれど。留学中は英語の勉強とかいってられないですよ。実際英語は基本的なスキルで、英語で授業を受けるので、英語は手段であって目的ではないんですよね。というわけで、留学前に英語をみっちり勉強しておけ!というのが過去の自分へのアドバイスですね。 準備しなきゃならないものがたくさんあってなかなかしんどかったです。大学への提出書類を確認して、留学先での授業の履修を考えて、学科のアドバイザーの先生に相談してとか色々ありました。もともと留学は半年の予定だったのですが、どうやら半年だろうが一年だろうが留年することは避けられないことが分かったので一年にしました。うーん。行き当たりばったり。実際、留学の制度をいまいち理解していないので、留学先での単位がどうなるのかがわかっていないです。単位交換できるのか。うーん微妙。またビザ取得のために東京の大使館まで行かなきゃならなかったりめんどくさかったですね。基本的に留学の準備は自分の力を試されるというか、主体的に動かなければならないので、そういう練習としては良かったのかなという感じでした。 まあそんなこんなでなんとか提出書類等をこなして無事出国できそうでした。

マレーシアへ、地獄のフライト編

さて、サッカーのところで書いた通り、フライトの3日前くらいに食中毒になり、発熱と下痢でヒーヒーいいながらも出国しなければなりません。
時は待ってくれません。
本来は夜行バスで行く予定だったのですが、さすがに無理だと思いキャンセル。山形空港から羽田までの飛行機を予約しました。一時間のフライトならまだ私の肛門括約筋は耐えられるでしょう。そんなこんなの体調最悪の状態で我が故郷を離れました。
羽田に着陸してからも油断がなりませんでした。嵐のためしばらく降りることができませんでした。マジで勘弁してほしかったです。チェックインが結構ギリギリになってしまったので晩飯はポカリだけになりました。平成最後の日本の最後の晩餐がポカリ。ああ無常。(なお、一月下旬に日本に帰るので平成最後の晩餐ではない。その時は知る由もなかったが。)なんとか無事にマレーシア行きの飛行機に乗れました。ああ一安心。と思いきや、寒い。冷房が効きすぎて冷蔵庫みたいな飛行機内。私は半そで。長袖の準備など全くしていませんでした。これは痛恨のミス。熱帯に行くのになぜ長袖がいるのだと思い全く準備をしていませんでした。さてここから地獄の8時間のフライトの始まりです。食中毒と低温の機内のダブルパンチで私のHPはのこりわずかでした。まだマレーシアについてもいないのに帰りたい。切実に思いました...

留学生活

留学生活については他のエントリーにも色々書いてきたような気がするのであんまり多くは書きません。 留学生活を振り返ると勉強たくさんしました。植物系、バイオインフォマティクス系、微生物系、コンピュータ系と全く異なる分野の授業を取りました。感じたのは背景知識があれば理解しやすいなと思いました。単位交換が怪しいので、そこは考えずに面白そうなものを取っていきました。自分の卒業研究で何をやるかをまだ決めてないので、色々好きに勉強していく中で面白いものを探していこうかなという感じでした。心配していた英語もなんとか授業についていけてて一安心って感じでした。来る前よりも英語の使用頻度は上がっているので多少は英語もできるようになったのかなという気はします。

私は友達が少ない

私は友達が少ないです。まじで。同じ分野の留学生がいないというのも原因にあるかと思いますが、一番は社交性のなさなのかなと思いますね。まじで雑談が下手だなと思います。生物のこととか、勉強のこととかは話せるんですけど初対面の人と何を話せばいいのか全くわからないです。これがコミュ症ってやつなのかなと思います。ヨッ友みたいなのは結構いますけどね。 これは別に悪いことだとは思っていません。友達が少ないので、誘われたら嬉しいしフットワーク軽いし、人間関係でのストレスは少ないし。 ただ、せっかく留学に来て、色々な国の人がいる中で交友関係が狭いのは少しもったいなかったかなあとかも思います。あと半年あるので機会を生かして話せる人を増やそう2019。 数少ない話す人はいわゆる文系の人が多いので、そっち方面の話を聞くのは楽しいし貴重です。サイエンス系の人以外と話すと自分の常識は他人の常識ではないことを確認できていいですね。

なぜマレーシアか

留学先をマレーシアにしたのはいくつか理由があります。一つ目は熱帯というところ。二つ目は進路を考えて考えた時に東南アジアはどうかと検討するため。三つ目は私の能力の問題。
雪国出身なんで熱帯で暮らしてみたかったんですよね。雪のない冬を過ごしたかった。実際雪のない冬を迎えたわけですが、季節感がまったくなくメリハリがない感じがしました。気温の移り変わりって大事なもんだったんだなあと思いました。ずっと夏なので冬服もっていかなくてもいいところは熱帯の強みかなあ。あと、熱帯の動植物激アツってのも理由の一つですね。こっちに来てから野生の食虫植物見れたのはテンション上がりました。まだサイチョウとラフレシア見れてないので残り半年でそこらへんを見に行きたいですね。ジャングルツアーですね。
進路を考えた時の東南アジアっていうのは東南アジアの大学院ってどんな感じなんかなあってのを知りたかったって感じです。ネットだとあんまり情報なかったので、実際来てみてどんなもんかなあという感じでした。マラヤ大学の印象だと、奨学金はマレー系には豊富にある?けど外国人向けにはうーんという感じの印象です。ブミプトラ政策って感じなのかなあといった印象。熱帯の動植物系の研究をするんだったら地の利があるのでいいのかなあという印象。
三つ目の話は、ようは英語のスコアの話とお金の話です。留学行くぞーと決めてから一か月後にはIELTSの試験があって大した準備もせずに臨んだので大したスコアは取れませんでした。よってヨーロッパとかアメリカとか高いIELTSのスコアが求められるところは無理。というなんともなさけないような理由ですね。まああっちの方は冬あるのでうーんという感じですけど。でも、ヨーロッパだったらサッカー見に行けたよなーとか思ったり。そこは羨ましい。まあ場所によりけりだとは思うけど。東南アジアの方は物価安いっしょ、おれの貯金でいけるっしょ。といった感じだったので、ヨーロッパ圏はお高いんでしょ?と思ってたので。北欧の方はそんなでもない?ってのが友人から聞いた話の印象でしたけど。
実際来てみて、ヨーロッパの方がサイエンスだとよかったのかなあという気もします。色々研究室に訪問も行きやすいだろうし、研究系のインターンを行っているところもこっちよりは多いみたいなので。まあそれはそれでって感じですね。

進路について

大学四年生になると卒業後の進路について考えなければならなくなると思います。四年生になってから考えるのはちょっと遅いと思っていて、三年生のうちに色々と考えなければならないと思います。私はもう一年三年生をやるのでまだ1年考える時間があるわけです。ああ、研究室どうしようかなあ。

大学院に行こうと思ったきっかけなど

色々考えた結果大学院に行きたいと考えています。今のところ勉強するのが好きだし、サイエンスは楽しいので。自分の好奇心を満たしてくれる場所なのかなと期待しています。大学院進学に関して、動いてきたこととして、2年の夏にNAISTに2週間ほどインターンに行って大学院の生活を体験してきました。ここでの院生を見る限り、おれでもやっていけそうな気がするぞ。という実感がありました。自惚れの可能性も高いですが。。。 また、慶応義塾大学のアストロバイオロジーキャンプというのにも参加しました。3日間にわたって高校生から大学院生までが参加する勉強合宿で、アストロバイオロジーに関する様々な分野のDrが集まって講義をしてくれるという激アツイベントです。ここで会った先生がたの影響もあるのかなと思います。とにかく楽しそうで生き生きと語ってくださって聞いているこっちもワクワクするような時間でした。そんな大人がいるようなところの方が楽しいかなという楽観的かつ適当な理由もあります。今やりたいと思っていて、チャレンジしてダメだったら別の道にいけばいいかなあと楽観的に考えています。 就職というのも考えたのですが、いまいち自分が働いているイメージが付かずに何となく違うかなあという印象があります。これは私がまったく何も調べていないことが原因なのはわかっています。就職すればお金は稼げて自分で自由にできることももっと増えるのかなとは思いますが、あまり自分にとっては魅力的に映らなかったのです。まだ就活は早い。って感じですかね。

進学先とお金について

それで、大学院に行こうと思うのはいいのですがいくつか考えなければならない問題があります。進学先とお金のことです。進学先は今調べている最中ですがいくつか候補はあります。日本の大学院と海外の大学院どちらも調べています。 日本の大学院だとOIST、NAIST、東大、慶應とかがいいのかなと思っています。日本の奨学金、また各大学院の奨学金をチェックする必要があります。またOISTは5年のPhDコースでお金の心配もいらないみたいなのでOIST行きたい!!って感じが今は強いです。研究も学際的で入学後にラボを回ってから研究を決めるというのも私にあっているようなきがします。他は興味ある研究室がいくつかあってという感じです。研究室訪問しなきゃなあという感じです。あとはマスターまでかドクターまで行くのかはその時になったら考えたいですね。
海外大学院を調べているのは費用面で日本よりも安いのではないかと思っているためです。というのも、海外大学院だと返済不要の奨学金で授業料から生活費までカバーできるケースがあると聞いたからです。アメリカだと5年のPhDコースとかそんな感じです。アメリカは2年間は授業ベースでTA、RAとかでお金をもらえるみたいです。また、授業を受け持つ必要もあるらしくやりがいはありそうですが大変そうです。ヨーロッパだと国によって違うみたいです。スウェーデンのPhDコースはお給料もらえると聞いて調べてみたのですが、基本的にマスターが必要なのでマスター取ってからはアリかなと思いますが現在は微妙な感じです。PhDは海外大学院魅力的だなあという印象です。まあまずはIELTSなどの試験で必要なスコアを取らないと海外大学院うんぬんもないので、英語学習も頑張っていこうと思います。
ツラツラと書いてきましたがしょせん大学三年生のカスみたいな知識なのでどうなるかは知らないです。というか、まず自分の卒業研究どこの研究室でするつもりなんだという問題についてはまあこれから考えていこうかなと思います。

最後に

進路について親からは完全に任されているので自分次第の感じです。お金も心配するなとは言われていますがドクターまで行きたいと言ったときはマジかみたいな顔されたのでドクターまで行くなら金銭の心配が少ない?海外大学院に行くのがいいのかなという気がします。とりあえず親からは何もないのでまあよかったなあという感じです。私がいきなり留学行くといった時もいいんじゃない?と送ってくれたのでその点にも感謝ですね。 今後の進路についてどう動いていくかです。留学終わった後にOISTへインターンを申し込みましたがどうなるかは今のところ未定です。たぶん落ちそうだなあ。これが落ちた時を考えてインターン先を(研究、企業含めて)考えてみようかなあという感じです。

まとめ

2018年は留学のせいで色々とばたばたした年でした。その中でもサッカーと留学と勉強と並行してやれたのは良かったのかなあと思います。留学は残り半年のこっているのでしっかり勉強したいです。そしてサイチョウを見たい。OISTインターン受かるといいなあと思いつつ、研究系のインターンがあれば探して進路に繋がるような活動も行っていきたいです。

本田圭佑さんのキャリア

こんにちは。この前書いたドリブルデザイナー岡部さんの記事が良く読まれているみたいなので、サッカー繋がりで本田圭佑さんについて書いてみました。

本田圭佑さんは何かと話題になる人です。個人的に好きだし尊敬している人です。本田圭佑選手ではなく本田圭佑さんとここで表記しているのは、彼のサッカー選手としてのキャリアだけでなくてサッカースクールの経営者、カンボジア代表の監督などいわゆる肩書きがたくさんあるためです。

彼の尊敬すべき点はまさにここにあると思います。サッカー選手としての彼を軸にサッカーに関連した事業を興している点が素晴らしいと思います。個人的には複数の仕事を兼任して行うスタイルというのはこれからメジャーになっていく気がします。その中で、スポーツ選手が複数の仕事をこなしていくのはめちゃくちゃすごいと思います。

と、思うのはほとんどのサッカー選手は基本的に人生のほとんどをサッカーをして過ごしてきただろうからです。つまり、大学に行っていたとしても、勉強して進学というよりはスポーツ推薦で入った人間が多数だと考えられるからです。(乱暴に言うと大半のスポーツ選手勉強してないだろ〜ということです。)

その中で、複数の事業を興して様々に活動する本田圭佑さんはすごい。間違いなく自分自身の強い意志で勉強してきただろうし、問題は何か考えてそれに対して自分はどうやって関われるかを考えているからそのような事が出来るのだろうと思います。

複数の仕事を現役の頃からしているため、現役のキャリア終了後もほかの仕事で収入を得ることができるだろうことが予測できます。これはスポーツ選手としてのすごく良いモデルなのかなと思います。
プロスポーツ選手の現役引退後のキャリアについてはあまりいい話を聞きません。(私が調べてないからかもしれませんが。)いつ怪我でキャリアが絶たれるかもわからないし、いつ戦力外を言い渡されるかもわかりません。スポーツ選手って考えるとすごい職だと思います。

また本田圭佑さんはサッカー選手として活躍すればするほど、サッカーカンボジア代表監督、サッカースクールの代表などのサッカー関連の仕事の信頼が上がるでしょう。また逆に監督の仕事、スクールの運営などの仕事が、彼をサッカー選手としても成長させていると思います。(監督側、運営側からの視点でもサッカーを見れるので)
本当に彼は頭が良くてよく考えてやっているなあと思います。

最後に、詳しく調べて書いているわけではないので何か間違ったことを書いていたらご指摘よろしくお願いします。

終わり。



ドリブルデザイナー岡部さんがすごいわけ。

芝


ドリブルデザイナーの岡部さん。ドリブルデザイナーという聞いたことのない肩書きを持つ彼はドリブル専門の指導者です。

彼の凄いところは、サッカーのドリブルを理論化したところ、ドリブルを通してチャレンジする心の素晴らしさを伝えているところ。夢を見させてくれるところ。この3点だと思います。

1点目:ドリブルを理論化した点

理論

スポーツが上手いことと、それを教えるのが上手いかは別問題というのは経験的に理解できると思います。
彼はドリブルを研究し、実際ドリブルが上手い!また、その方法論を言語化できる。ここが彼の(当たり前のようですが)ドリブルデザイナーたる所以でしょう。理論化したということは再現可能な技術ということです。それを頭に入れ、身体の動かし方を学ぶ。そうすることで多くの人が学ぶことができる。ここが素晴らしいところだと思います。

2点目:チャレンジする心の素晴らしさ

チャレンジ

ドリブルはボールを持っていても、自分から仕掛けなければ抜けません。仕掛けるということは、ボールを奪われるかもしれないリスクを冒すということです。そのためサッカーの試合中では、選手たちはここで仕掛けて得るリターンとボールを失ってしまうリスクとを比べて仕掛けるか否かの判断を下します。これは選手たちにとっては最低限しなければならないことです。しかし、最後にはいずれ誰かが仕掛けなければならない時がきます。この時を逃さないように、この時に仕掛けられるようにするために彼はドリブルデザインをしているのだと思います。

これはサッカー以外にも当てはまることだと思います。何か自分からアクションを起こさなければならない機会(仕掛ける機会)はあっても、自信のなさから行動できない人(仕掛けられない人)も多いのではないでしょうか。こういった人たちにも岡部さんのドリブルデザインによって変わった選手たちがドリブルで仕掛けることでチャレンジする勇気を伝えられるのだと思います。
岡部さんのnoteにも書いてありましたが、岡部さん自身が選手時代の時は身体の線の細さに悩まされてきたそうです。その中で試行錯誤の結果身に付けたキレのある日本刀のようなドリブル。まさに現代の侍。

3点目:ドリブルデザイナーは夢を与えてくれる


夢
ドリブルデザイナー岡部さんの仕事は人々に夢を与えてくれます。ドリブルを実際に教わる選手だけでなく、そのドリブルをする選手たちから夢をもらえると思うのです。これってすごい素敵なことじゃないですか?彼のドリブル理論を身に付けた選手がどんな仕掛けをするか、観客はワクワクしながら見ることができる。ワクワクさせてくれるスター選手も現役を引退してしまったらそのプレーを見ることはできなくなります。しかし、彼の理論を身に付けた選手たちはどんどん出ていくことができます。そしてワクワクするようなプレーを見せてくれるでしょう。それが楽しみでたまらないです。


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