アキタの雑記

博士後期課程の雑記ブログ。 読んだ本、コンピューター系のメモ、愛猫の写真、勉強のこととか。

カテゴリ:カンボジア > プノンペン

【カウチサーフィン】

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カウチサーフィンって知ってる?

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カウチサーフィンというプラットフォームをご存知でしょうか? 旅行先の現地に住んでいる人の家に泊まりたい人と、旅行者を泊めたい人のマッチングサービスです。 旅行先の人の家に泊まることで旅行者は宿代がかかりません。またその土地での人との出会いが得られます。 今回はカンボジアのプノンペンとベトナムのホーチミンで利用しました。その感想について書いておきます。

プノンペン:カウチサーファー10人以上と宿泊

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プノンペンでは2泊3日で、このカウチサーフィンを使って泊まりました。ホスト先の方の家は広く、他にも10人以上のカウチサーファーが泊まっていました。 男女関係なく主にヨーロッパ系の人が泊まっていました。 みんなで映画見たりご飯食べたりしていました。マットレスを用意してもらってその上で寝ました。私たちは出かけていたのであんまり一緒に過ごすことは少なかったのですが、面白い経験だったかなと思いました。

ホーチミン:高層マンションの最上階に泊めてもらいました

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ホーチミンでは、タワーマンション最上階の49階のお宅にお邪魔しました。 ベランダからの眺めが最高でした。 ホストの人はポーランドの人でした。 私たちの他にも2人カウチサーファーがいて、彼らはアメリカとチェコ出身なのですが、彼らの英語が速くてあー勉強しなきゃなあーと気持ちを引き締めたのでした。 東欧の話をしてた時は本当にわかりませんでした。事前知識ないとやっぱり困難だなあと思ったのでした。 みなさん親切で楽しく過ごせました。

安く済ませたいなら交通費と宿泊費を考える必要がある

今回カウチサーフィンを2回使ってみました。宿代はタダになりました。しかし純粋にお金をかけずに旅をできるかというと、必ずしもそうではないことに気づきました。 観光地からそのホスト先のお宅の位置が離れすぎているとそこまでの交通費がかかるからです。 特にお別れが朝の場合は通勤ラッシュによりグラブの価格が非常に高騰しました。そのため、本当にお金をかけないで旅行したいなら、交通費と宿泊費を含めて考えなければならないなあと実感しました。すごく当たり前のことを書いている気がしますが。 宿泊費はネットで簡単に比較ができます。一方、交通費は公共交通機関は調べればわかりますが、グラブなどは時間帯によりまちまちなので正確なところの価格を見積もるのは難しいのかなあと思います。

【プノンペンのナイトマーケット】

プノンペンは2泊3日滞在しました。1日目着いたのが夕方で、3日目の朝には出発したので、実質観光は1日でした。

夜は2日間どちらもナイトマーケットで食べました。セントラルマーケットから徒歩で20分くらい?かな。日本の祭りみたいな感じで楽しい雰囲気でした。たぶん、ご近所のど自慢?みたいな感じでカラオケしてたりして。(プロだったらごめんなさい)飯の屋台と服とか靴とか売ってる屋台とかあって東南アジアだなあって感じです。


ここで飲んだサトウキビジュースが搾りたてで、爽やかで甘すぎなくてすごく好みでした。ということで、2日とも飲んでました。
これは2日目の夜に食べたご飯ですね。豚肉チャーハン と豚串焼き、サトウキビジュース。豚串焼きが美味いんだなあ、本当に。ハラールな学食が主食だったワタクシには最高でしたよ。

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屋台飯ってお腹大丈夫なの?と思われる人がいるかもしれませんが、今のところお腹は元気です。今のところお腹を下していたのは日本で食中毒なりながらマレーシアに来た時くらいですね。カンボジアご飯がすごく美味しいのでぜひ行けばいいと思います。




 

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2度目のホーチミンに向かうことになったワタクシ。初めてベトナムへ訪れたのは2017年の2,3月だったかな?その時はハノイへ。そして2018年の10,11月どっちかにはホーチミンへ。そして2019年1月にまたホーチミンというわけです。


ベトナム好きかよ。


過去2度は共に飛行機で入国でした。今回が初の陸路国境越え。なんか知らないけれど夢の一つでした。島国日本に住むワタクシとしては国は海により隔てられたモノという認識ですので、どーも陸路で入国というのは想像できなかったのです。まあやってみれば当たり前なんですけれど全く大したことないことでした。


ただ国境付近はなんとなく国境感がありました。国境感とはなんぞやという話ですが、何となく寂れたような風景がなんとなく国境っぽいなあと感じたのであります。

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バスが国境直前で昼飯のために止まりました。カンボジア最期の食事です。豚肉の黒胡椒炒めみたいな料理を食べました。唐辛子のピリ辛さと豚肉の旨味、黒胡椒のパンチが味覚をボコボコに楽しませてくれました。幸せ。カンボジア飯が美味い。3ドルと少し高いような気もしましたがまあいいでしょう。お釣りがカンボジアの通貨単位であるリエルではなくベトナムの通貨単位であるドンで返ってきたのも国境付近ならではだったのでしょう。有難いですね。
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国境越える時にはバスの人にパスポート渡して、空港の入国審査するときに通るようなやーつがある建物へ通されて無事入国できました。なーんだ、あんまり変わらないじゃないか。となんとなく期待ハズレなような気も。また一つ経験値が上がりました。
 

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【キリングフィールド】

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ここはカンボジア国内に300以上あると言われる虐殺が行われた地の一つ。何の説明もないと、一見ボコボコ穴の空いた庭にしか見えない。しかし、このボコボコの穴が虐殺された人々が埋められていた場所なのだ。今でも、特に雨で泥が流される雨季に人骨が出てくることがあるらしい。園内を音声ガイドを聞きながら散策する。ポルポト率いるクメールルージュの歴史や、ここでどのように人々が虐殺されたかを知ることができる。

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慰霊塔は仏塔の様式をしている。通常の仏塔はお釈迦様の遺骨や遺物などを納めたものでドーム型を基本としている。仏教とヒンドュー両方の装飾がされている。ガルーダとナーガの装飾がされている。このナーガとガルーダは敵対関係にあるらしいのだが、一緒にいるということで平和の象徴となっているそうだ。

慰霊塔の中にはびっしりと遺骨、主に頭蓋骨や大腿骨などの大きい骨が納められている。化学鑑定の結果分かった死因や性別などの情報がラベルされている。1番下には虐殺に使われた道具も共に納められている。

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聞いていて楽しいものではないが、カンボジアの歴史、また人間が犯した過ちを忘れないためにもプノンペンに来た人は訪れた方がいい場所だと思う。

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【S21トュールスレン虐殺博物館】

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入場料8ドル、音声ガイド付きを購入し入場。入った時は綺麗な庭園が現れ、いい天気と相まってトュールスレン虐殺博物館という名前の持つイメージとかけはなれた印象を受けた。この庭にはプルメリアの花が咲きマンゴーが実りとても熱帯的で美しい。庭だけを見ると、ここで起きたことが信じられない。 

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トュールスレン、別名S21は、人々がクメールルージュに拷問を受けた約200カ所にわたる収容所網の極秘センター。もともとは高校だったらしい。恐ろしい。周りは有刺鉄線で囲まれ、外からの侵入者、中からの脱走者を許さないように仕切られている。各種の資料などは紛失または破壊されていたため正確なところは分からないらしいが12000〜20000人の人々が収容されたようです。その後、確認された生存者は、わずか12人。

ここに収容された人々は反逆罪として収容された人々のようです。教師や医師など主に教育を受けた人々が対象だったようです。

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入口から入って左側のA棟には、拷問を受けた部屋とその写真が展示されている。ところどころは顔に紙でモザイクをかけられているのが印象的だった。部屋の様子は簡素で何もなく、当時の写真に写っている部屋の様子とほとんど変わらないように見えた。当時は上につけられたファンはなかっただろうが。
写真は各部屋にひとつづつ展示されている。 

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A棟からB棟に向かう時に見ることになる木製の構造物。もともとは子供たちの遊び場だったらしいが、収容所として使われていた時代には拷問器具として使われた。処刑台ではない。拷問に使われたのだ。収容者は目隠しをされ、ここに連れて行かれロープでつるされ気を失うと下にある汚水や汚物で満たされたつぼに頭から突っ込まれ意識を取り戻すとまた同じことが繰り返された。 
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S21の職員が10代以下から20代の若者によって構成されていたということが衝撃だった。A棟で見てきた拷問を行った人のイメージとはかけ離れていたからだ。黒いシャツに帽子を被った姿が指導者のシンボルらしい。
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また収容者は着いた時に来ている服を脱がされ、名前ではなく番号などで呼ばれたらしい。これには収容者の人間性を奪う意味があったそうだ。
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これらはB棟に展示してある。


拷問の様子を描いた絵や実際に使われた拷問器具、殺された人の頭蓋骨など、強烈な展示物を見られるのがD棟だ。


ショッキングな展示物が多いのでゆっくり回るのがいいかもしれない。



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