アキタの雑記

博士後期課程の雑記ブログ。 読んだ本、コンピューター系のメモ、愛猫の写真、勉強のこととか。

カテゴリ: サッカー

近況報告

こんにちは。あっという間にマレーシア来てから3ヶ月です。こちらは冬感ないですね。まだまだ夏の気温です。この前行ったモールにはクリスマスツリー飾られていましたが。。

寮のフットサルグループに参加しました

最近寮のフットサルグループに入りました。メンバー構成は95%マレー系マレーシア人です。留学生はおれとあと中国人とインドネシア人ですね。

英語を使ってください。。

基本的にグループチャットがマレー語なので何を話しているのかわからないです。彼らは英語も使えないわけじゃないんですけど、基本的にフットサルの時もマレー語で何か話してます。連絡とかは英語使ってくれる時もあるんですけど、全部ではない感じですね。留学生がいることを配慮する気はないのか?とか思いつつも悪い人たちじゃないのはわかっているので、なんともモヤモヤですね。そのメッセージの重要度がわからないのが困惑する原因ですね。くだらないことを言っているのか何かの連絡なのか、それがわからないのが面倒くさいところです。あと、コーチが来て指導してくれるんですけど彼もほとんどマレー語しか話さないです。そのため、なんとなーく周りに合わせてます(日本人お得意のスキル)。
サッカーの練習なのでなんとなくコーンとかの配置見れば予想できるのでまあいっか。って感じですね。ちなみに試合中はコーチングが皆無の試合になっていて難しいですね。ボラってのがボールって意味なのはなんとなく把握しました。言語コミュニケーションが取れなくてもサッカーはサッカーでコミュニケーション取れるからいいなあと思いますね。点入ったらお互い喜べるし、いいプレーあったら褒めてくれるし。ただ、彼らの名前ほとんどわかんねえんだよなあ。寮対抗の試合があるみたいなんですけど、いつやるのかはわからないです。
応援よろしくお願いします笑

本田圭佑さんのキャリア

こんにちは。この前書いたドリブルデザイナー岡部さんの記事が良く読まれているみたいなので、サッカー繋がりで本田圭佑さんについて書いてみました。

本田圭佑さんは何かと話題になる人です。個人的に好きだし尊敬している人です。本田圭佑選手ではなく本田圭佑さんとここで表記しているのは、彼のサッカー選手としてのキャリアだけでなくてサッカースクールの経営者、カンボジア代表の監督などいわゆる肩書きがたくさんあるためです。

彼の尊敬すべき点はまさにここにあると思います。サッカー選手としての彼を軸にサッカーに関連した事業を興している点が素晴らしいと思います。個人的には複数の仕事を兼任して行うスタイルというのはこれからメジャーになっていく気がします。その中で、スポーツ選手が複数の仕事をこなしていくのはめちゃくちゃすごいと思います。

と、思うのはほとんどのサッカー選手は基本的に人生のほとんどをサッカーをして過ごしてきただろうからです。つまり、大学に行っていたとしても、勉強して進学というよりはスポーツ推薦で入った人間が多数だと考えられるからです。(乱暴に言うと大半のスポーツ選手勉強してないだろ〜ということです。)

その中で、複数の事業を興して様々に活動する本田圭佑さんはすごい。間違いなく自分自身の強い意志で勉強してきただろうし、問題は何か考えてそれに対して自分はどうやって関われるかを考えているからそのような事が出来るのだろうと思います。

複数の仕事を現役の頃からしているため、現役のキャリア終了後もほかの仕事で収入を得ることができるだろうことが予測できます。これはスポーツ選手としてのすごく良いモデルなのかなと思います。
プロスポーツ選手の現役引退後のキャリアについてはあまりいい話を聞きません。(私が調べてないからかもしれませんが。)いつ怪我でキャリアが絶たれるかもわからないし、いつ戦力外を言い渡されるかもわかりません。スポーツ選手って考えるとすごい職だと思います。

また本田圭佑さんはサッカー選手として活躍すればするほど、サッカーカンボジア代表監督、サッカースクールの代表などのサッカー関連の仕事の信頼が上がるでしょう。また逆に監督の仕事、スクールの運営などの仕事が、彼をサッカー選手としても成長させていると思います。(監督側、運営側からの視点でもサッカーを見れるので)
本当に彼は頭が良くてよく考えてやっているなあと思います。

最後に、詳しく調べて書いているわけではないので何か間違ったことを書いていたらご指摘よろしくお願いします。

終わり。



ドリブルデザイナー岡部さんがすごいわけ。

芝


ドリブルデザイナーの岡部さん。ドリブルデザイナーという聞いたことのない肩書きを持つ彼はドリブル専門の指導者です。

彼の凄いところは、サッカーのドリブルを理論化したところ、ドリブルを通してチャレンジする心の素晴らしさを伝えているところ。夢を見させてくれるところ。この3点だと思います。

1点目:ドリブルを理論化した点

理論

スポーツが上手いことと、それを教えるのが上手いかは別問題というのは経験的に理解できると思います。
彼はドリブルを研究し、実際ドリブルが上手い!また、その方法論を言語化できる。ここが彼の(当たり前のようですが)ドリブルデザイナーたる所以でしょう。理論化したということは再現可能な技術ということです。それを頭に入れ、身体の動かし方を学ぶ。そうすることで多くの人が学ぶことができる。ここが素晴らしいところだと思います。

2点目:チャレンジする心の素晴らしさ

チャレンジ

ドリブルはボールを持っていても、自分から仕掛けなければ抜けません。仕掛けるということは、ボールを奪われるかもしれないリスクを冒すということです。そのためサッカーの試合中では、選手たちはここで仕掛けて得るリターンとボールを失ってしまうリスクとを比べて仕掛けるか否かの判断を下します。これは選手たちにとっては最低限しなければならないことです。しかし、最後にはいずれ誰かが仕掛けなければならない時がきます。この時を逃さないように、この時に仕掛けられるようにするために彼はドリブルデザインをしているのだと思います。

これはサッカー以外にも当てはまることだと思います。何か自分からアクションを起こさなければならない機会(仕掛ける機会)はあっても、自信のなさから行動できない人(仕掛けられない人)も多いのではないでしょうか。こういった人たちにも岡部さんのドリブルデザインによって変わった選手たちがドリブルで仕掛けることでチャレンジする勇気を伝えられるのだと思います。
岡部さんのnoteにも書いてありましたが、岡部さん自身が選手時代の時は身体の線の細さに悩まされてきたそうです。その中で試行錯誤の結果身に付けたキレのある日本刀のようなドリブル。まさに現代の侍。

3点目:ドリブルデザイナーは夢を与えてくれる


夢
ドリブルデザイナー岡部さんの仕事は人々に夢を与えてくれます。ドリブルを実際に教わる選手だけでなく、そのドリブルをする選手たちから夢をもらえると思うのです。これってすごい素敵なことじゃないですか?彼のドリブル理論を身に付けた選手がどんな仕掛けをするか、観客はワクワクしながら見ることができる。ワクワクさせてくれるスター選手も現役を引退してしまったらそのプレーを見ることはできなくなります。しかし、彼の理論を身に付けた選手たちはどんどん出ていくことができます。そしてワクワクするようなプレーを見せてくれるでしょう。それが楽しみでたまらないです。


大学までサッカーをしている意味は何かあるのか考えてみた。

はっきり言って自分がプロのサッカー選手になれないだろうということは小学生の時からわかっていた。

幸運なことに小学生の時のチームが強かったので、全国大会を経験させてもらい自分より上手い同年代の選手が
腐るほどいることを知った。小学生の時にこれだけの差があるのだから自分はここでは勝てないと思ったし、その競争を
していくほどのモチベーションはなかった。サッカーは好きだけれども。

もちろん上手くなりたい。という思いはいまでもある。

しかし、サッカーをやって多少今よりは上手くなってもプロにはなれない。試合に出て勝てばうれしいけれども、その喜びは永遠に
は続かない。一時の享楽である。自分が時間を投資した時間をただ一時の楽しみだけに使っていいのだろうか。
というようなことを考えて、なにか日常にも活かせるんじゃないかと考えながらサッカーをすることが大切だと思っている。

こんなこと言っても意味不明だと思うけれども、サッカーは人生で大切なことを教えてくれると個人的には思っている。
まず、サッカーは一人ではできなくて仲間、相手、審判がいてできる。(他にも運営の人とか、家族とかたくさんの人が関わる)
目標は相手よりも多くゴールを奪う。相手のゴールを奪うのと同時に自分のゴールを守らなければならない。そのために基本的なボールを
止めてける技術、瞬間瞬間の判断、全体の状況を把握することなど様々なことが必要だ。

このようなことを行うためにはまずは自分がどういう状況なのかをしっかりと分からなくてはいけない。首を振って、相手の位置、ボール
の位置、味方の位置、ボールホルダーはどういう状況なのか、相手のゴールまではどのくらいの距離か、また自分のゴールは?などだ。
この自分の状況がどういうものなのかという事を自分で把握することは日々の生活のなかでも重要だ。生活していくなかで自分のゴール
、目標を設定しそれを達成するためには自分がどの位置にいるのかを把握しなければならない。これが分からなければ、この後自分が何をすれば
いいのかが分からない。そんな状況ではその目標を達成することなどできるはずがない。自分の位置が分かったら、次はどんなアクションを
起こすのかを決めなくてはならない。どうするのが最善かを常に考えやってみる。結果的に間違っても、それを振り返って次の行動に
繋げることが出来る。
サッカーはミスすることが前提のスポーツだ。大きく技術的なミスと判断ミスに分かれる。技術的なミスは何度も練習するしかない。
すぐになんとかできるものではない。しかし判断ミスは自分の意識を変えることで次からでも直すことが出来ると思う。
たとえば、自分の状況が分からないから判断のミスが起きたとしたらそれはまずじぶんの状況を自分が分かるように周りを見ればいい。
また、今した判断ミスと同じような状況がきたときは違う判断をしてみる。
ほとんど適切な判断が出来ないときは周りが見えていないときだと感じる。だから周りをみることが一番大切だとも言える。

仙台で活動している先輩に誘われて仙台で早朝6:30からサッカーしてきました。

そのサークルはサッカーを通して生活に役立てることを考えるという勝負の世界のサッカーとは違うことをしていました。

具体的に何をしたかというと、キャプテンの人がテーマを与えてそのテーマについて考えながらサッカーをするというものでした。

今日のテーマは「今学ぶこと」でした。全くサッカーと関係なくね。。。とか思ってました。

ちなみにメンバーの人は半分以上がサッカー未経験者でした。サッカー未経験者とサッカーすることはほとんどないので新鮮でした。かつ社会人の人と大学生が混ざってやっていました。社会人の人と関わる機会がほとんどないので貴重な経験でした。違うバックグラウンドの人と話すのは刺激になりますね。

それで、面白い練習だったのがサイレントサッカーでした。サイレントサッカーとは、全く声を出さないでサッカーをすることです。初めての経験でした。サッカーで声を使えないとマークの受け渡しはできないし、味方がどこにいるかもよくわからないし、嬉しかったりいいプレーした後に声もかけられないわけですよ。めちゃくちゃ難しかったです。しかも人数の関係上私の方のチームは一人少ないし。

改めて声を出すことの大切さがわかりました。コーチング大事。

その後は普通のゲーム(声出していい)をしました。もう声を出せる喜びを爆発させて楽しくサッカーしました。

それで、今日このサークルでサッカーして考えたことはいくつかあって。。

まずすごく社会みたいだなと思いました。どういうことかっていいますと、社会って色々な人がいて成り立っているじゃないですか。今日のサッカーって個人の能力もすごくバラバラでバックグラウンドもバラバラでその中でうまくやって成果をださなければならないわけです。(ゴールとか。)その中での自分のポジションはどうなるのかって考えたら、私は経験者なのでその集団のなかではできるほうだったわけです。それでそういうポジションであったならもっとチームを引っ張っていかなきゃいけなかったのかな
と。自分がいつも部活でサッカーをしているときは、みんなである程度の意思疎通もとれているからあまり話さなくてもやっていけていたんです。でも今日初めてあった人とうまくやっていくためにはもっと話さなければならなかったんだなと思いました。それはサッカーだけでなく社会一般でも同じことなのかなと。サイレントサッカーのあと話してよくなったのに、私からはチームメイトに適切な声掛けができなかったなと。それは普段から話すことを考えていないから話せないんだと気づきました。

生きていく自分の環境(他人とか、住む街とか、職場とか)って変えられるものもありますけど、その与えられたなかで生きて成果を出さないとだめなんだなってのが数的不利な条件でサッカーをして思いました。サッカーだとチームメイト、相手チーム、ピッチ、審判そういった環境がありますが、その中で自分ができる最高のパフォーマンスをしなければならないんだなと。

こういった機会に恵まれてよかったなあと思いました。

あと、朝に運動するとすごくすっきりしていい気持ちで一日をスタートできてよかったです。習慣にしたい。

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